【第1回】食文化の背景を読み解く力を養う
佐々木敏先生に聞く『アジア 食の旅、病の地図』が生まれた理由

取材・文:藤橋ひとみ
管理栄養士をはじめ、食と健康に関わる専門職の学びと実践を支えるEBNラボ。
今回は、佐々木敏先生の新刊『アジア 食の旅、病の地図』について、運営の藤橋ひとみがインタビューしました。
佐々木先生が旅先で見つめてきた食の風景、栄養疫学の視点、そして管理栄養士・栄養士に伝えたいメッセージを、全3回にわたってお届けします。

目次

佐々木敏先生に聞く『アジア 食の旅、病の地図』が生まれた理由

「食文化」と聞くと、私たちはつい、料理の美しさや味、地域ごとの特色に目を向けがちです。

けれども、佐々木敏先生は、食文化をもう少し根源的なものとして見つめています。

食文化とは、その土地で人が生きていくために、何を食べ、どう調理し、どう受け継いできたのかという、長い時間の中で積み重ねられた知恵。

今回、佐々木先生にお話を伺ったのは、新刊『アジア 食の旅、病の地図』についてです。

旅、食、病、民族、環境、そして栄養疫学。

一見ばらばらに見えるものが、先生の視点を通すと一本の線でつながっていきます。

第1回では、この本がどのように生まれたのか、その背景をお届けします。

食文化を「できあがったもの」として見ていないか

佐々木先生がこの本を書こうと思った背景には、長年抱いていた一つの違和感がありました。

世の中には、グルメの本やエスニック料理の本、民族学的な食の本がたくさんあります。

それらの多くは、
「この地域ではこういう料理が食べられている」
「この民族にはこういう食習慣がある」
というように、できあがった食文化から話が始まります。
もちろん、それも食文化を知るうえで大切な視点です。

しかし佐々木先生は、そこにもう一つの見方が必要ではないかと考えていました。

人はまず、生きるために食べてきた。

その土地の気候、手に入る食材、保存のしやすさ、病気のリスク、次の世代へ命をつなぐために必要な栄養。

そうした条件の中で、何を食べ、どう調理し、どう分け合うかを模索してきた。

その積み重ねの結果として、今ある食文化が形づくられてきたのではないか。

つまり食文化は、単なる「地域の特色」ではありません。

そこで暮らす人々が、生きていくために重ねてきた選択の歴史でもあるのです。

旅人の経験と、研究者の知見がつながった

この本の大きな魅力は、旅の記録でありながら、同時に科学の視点に支えられていることです。

佐々木先生は、若い頃から世界各地を旅してきました。

現地に入り、普通の人が食べているものを実際に食べる。
市場を歩き、食堂街をのぞき、人々が何をどう食べているかを観察する。

その体験の中で、先生は何度も「なぜ、この土地ではこう食べるのだろう」と考えてきたそうです。
一方で、栄養疫学者として世界中の論文を読み進めるうちに、旅先で感じた疑問に対する学術的な手がかりが、実際に論文の中に存在することにお気きになりました。

旅で感じたこと。
民族学の本を読んで抱いた違和感。
栄養疫学の論文から見えてきた科学的知見。

それらが少しずつつながっていく。
先生は、その感覚を「コネクティング・ドッツ」と表現されていました。

旅人としての記録と、研究者としての論文の記録。
その二つを合わせることで、今まで見えていなかった食と命の姿が見えてくるのではないか。

それが、先生が『アジア 食の旅、病の地図』を書こうと思った大きなきっかけでした。

最初から「食の旅」だったわけではない

佐々木先生の旅は、最初から食を観察するための旅だったわけではありません。

国内を旅し始めたのは15歳頃。
19歳でインドへ行ったのが、最初の海外旅行だったそうです。

当時は、ただ旅がしたかった。

食は、旅を続けるために必要なものという程度の位置づけだったといいます。

しかし、海外を旅する中で、食への意識は大きく変わっていきました。

日本で暮らしていると、食べるものは比較的身近にあります。

何を食べるかを強く意識しなくても、日々の食事が成り立つ場面も多いかもしれません。

けれども、旅先では違います。

自分で食べ物を探さなければならない。
お金を払わなければならない。
それが安全かどうかも、自分で判断しなければならない。

その経験を通して、佐々木先生は「食べること」が自分にとっていかに大切なものかを実感していきました。

さらに、自分とはまったく違う食環境の中で、人々が日々の暮らしを営んでいる。

そのことへの驚きが、やがて「食を見るために旅をする」というスタイルにつながっていったそうです。

栄養疫学への入口も、旅の中にあった

興味深いのは、佐々木先生にとって「旅をしながら食を観察すること」が、栄養疫学へ進む入り口でもあったという点です。

一般的には、研究者になってからフィールドに出る、という順番を想像するかもしれません。

しかし先生の場合は逆でした。

旅が先にあり、食への関心が生まれ、その後に栄養疫学という学問に出会った。

先生は、疫学とは本来、現場観察が先にあり、それをどう表現するかの学問であると話します。

現場を見ただけでは、人に伝えることはできません。
解決策を見つけることも難しい。

だからこそ、学問が必要になる。

この言葉は、管理栄養士・栄養士として現場に立つ私たちにも、大切な問いを投げかけているように感じます。

私たちは日々、現場で人を見ています。

食事を見て、生活を聞き、悩みに触れています。

その現場の経験を、どのように言葉にし、どのように科学とつなげていくのか。

佐々木先生の歩みは、現場と学問を切り離さずに考えることの大切さを教えてくれます。

現地に行く旅と、論文を読む旅

今回の本で佐々木先生が特に伝えたかったこと。

それは、大きく二つあるといいます。

一つは、実際に現地へ行き、現場の中に入り込むことの尊さ。

もう一つは、研究論文や情報をたくさん読み、俯瞰的・客観的に全体像を把握することの大切さです。

現地に行かなければ分からないことがあります。

その街角に立ったときの空気。
人の表情。
食堂のにおい。
器の置かれ方。

画像や動画だけでは受け取れないものがあります。

一方で、自分がその場で見たことは、膨大な事実の中のごく一部にすぎません。

その一場面だけで、国や民族、文化全体を語ることはできない。

だからこそ、研究論文を読み、データを見て、全体を俯瞰する謙虚さが必要になる。

現地に行く旅。
論文を読む旅。

佐々木先生は、その両方を「旅」と呼びたいと話していました。

『アジア 食の旅、病の地図』は、まさにこの二つの旅から生まれた一冊です。

第1回のおわりに

佐々木先生の話を聞いていると、食文化というものが、単なる料理の集合ではないことに気づかされます。

食文化は、生きるための知恵の集積。

そして、旅と論文は、食の現実を立体的に見るための両輪です。

次回は、佐々木先生が本書の第一話に置いたラオスの魚の話を中心に、食と病の関係をさらに深く見つめていきます。

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