【第3回】栄養指導の言葉を相手の現実に近づける
管理栄養士が『アジア 食の旅、病の地図』から受け取れること

取材・文:藤橋ひとみ
管理栄養士をはじめ、食と健康に関わる専門職の学びと実践を支えるEBNラボ。
今回は、佐々木敏先生の新刊『アジア 食の旅、病の地図』について、運営の藤橋ひとみがインタビューしました。
佐々木先生が旅先で見つめてきた食の風景、栄養疫学の視点、そして管理栄養士・栄養士に伝えたいメッセージを、全3回にわたってお届けします。
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管理栄養士が『アジア 食の旅、病の地図』から受け取れること
「健康に良い食事」とは何でしょうか。
野菜を食べること。
減塩すること。
栄養バランスを整えること。
エビデンスに基づいて、適切な食事を選ぶこと。
管理栄養士・栄養士であれば、日々の仕事の中で何度も考えているテーマだと思います。
けれども、佐々木敏先生の新刊『アジア 食の旅、病の地図』を読むと、その問いが一気に広がります。
健康によい食事を選べる環境とは、そもそも何なのか。
食べ物を選びにくい場所で、栄養の専門職は何を語れるのか。
私たちは「食と健康」について、本当に十分な広さで学べているのか。
最終回では、佐々木先生が管理栄養士・栄養士に向けて語ってくださった、本書の読み方と、専門職としての視野の広げ方についてお届けします。
「健康に良いものを選べる」は、当たり前ではない
私たちは日々、「健康に良い食事」について考え、伝える立場にあります。しかし、食べ物の選択肢や食文化、生活環境は、国や地域によって大きく異なります。
そこで取材では、健康的な食事を考えるうえで、文化や環境の違いをどのように捉えればよいのか、佐々木先生に伺いました。
そもそも「健康に良い」ということを考えて食べられる食環境にいる人たちは、世界的に見ると決して多くないのではないか。
日本で暮らしていると、私たちは当たり前のように言います。
「これは体に良い」
「こちらの方が栄養的に望ましい」
でも、その前提には「選べる」という環境があります。
食材が手に入る。
お金を出せば買える。
調理する手段がある。
情報を得られる。
そして、その中から自分で選択できる。
佐々木先生は、この「健康によいものを選べる食環境」は、決して当たり前ではないと話します。
食の選択には、環境と知識が必要になる

健康的な食選択ができるかどうかには、大きく二つの条件があります。
一つは、フード・アベイラビリティ(Food availability)。
つまり、そもそも選べる食品があるかどうかです。
どれほど栄養学的に望ましい食品を知っていたとしても、その地域に存在しなければ選ぶことはできません。
売っていない。
高すぎて買えない。
保存できない。
調理できない。
そうした環境では、「健康に良いから食べましょう」という助言は、現実から離れてしまいます。
もう一つは、知識です。
仮にAとBという選択肢があったとしても、どちらが健康に望ましいのかを知らなければ、よりよい選択はできません。
食品があること。
そして、正しい知識があること。
この二つがそろって初めて、人は健康的な食選択に近づくことができます。
選べる日本だからこそ、問われていること
日本では、スーパーに行けば多くの食品が並んでいます。
外食も中食もあり、栄養成分表示もあり、健康情報もあふれています。
もちろん、日本にも課題はたくさんあります。
経済的な格差、孤食、過食、やせ、生活習慣病、情報の混乱など、食の問題は決して少なくありません。
それでも、世界のさまざまな食環境と比べたとき、日本で暮らす私たちは多くの選択肢を持っています。
だからこそ佐々木先生は、読者にこう問いかけます。
私たちは、正しい食選択ができるような食環境と食知識を持てているだろうか。
そして、いま自分が信じている食知識は、本当に正しいのだろうか。
情報が多いからこそ、根拠を見極める力が必要です。
EBN、つまり科学的根拠に基づく栄養の考え方は、そのために欠かせないものだと改めて感じます。
この本は、読む立場で景色が変わる

『アジア 食の旅、病の地図』をどのように読んでほしいか。
佐々木先生は、読者によっていろいろな入り方をしてほしいと話します。
旅行が好きな人は、旅をもっと楽しむための本として。
食べ物が好きな人は、写真を眺めながら「こんな食べ物があるのか」と楽しむ本として。
食と健康に関心がある人は、科学に基づいた本として。
そして、管理栄養士・栄養士なら、ぜひ読み方を変えて何度も読んでみてほしいと感じました。
今日は「旅人」として読む。
今日は「研究者」として読む。
今日は「料理家」として読む。
今日は「栄養指導をする専門職」として読む。
どの立場で読むかによって、同じ文章から受け取るものは変わります。
一冊の本を、何倍にも楽しむ読み方。
これは、本書に限らず、専門職として学び続けるためのヒントにもなります。
「食べることに、専門外はない」
取材の中で、管理栄養士・栄養士がこの本を読むとき、何に着目してほしいかを伺いました。
そこで返ってきた言葉は、少し厳しく、でもとても温かいものでした。
「食べるというものに、専門外はありえないのではないか」
専門職とは、本来、専門的な視点であらゆるものを見て解釈できる人のはず。
それなのに、「これは私の専門外です」と切り離してしまうことがある。
けれども、食べることの専門職であるなら、食べることに関連する幅広い知識を持とうとする姿勢が必要なのではないか。
歴史、文化、環境、経済、調理、病気、人の移動、社会の変化、・・・。
一見「雑学」に見えるものも、実は専門性を支える土台になります。
佐々木先生は、栄養の専門家にこそ、栄養に関連する幅広い知識を持っていてほしいと話します。
その言葉には、管理栄養士・栄養士への大きな期待が込められているように感じました。
「野菜を食べよう」と簡単には言えない場所がある

本書の中で、特に心に残るエピソードの一つが、ミクロネシアの話です。
佐々木先生は、野菜がない国で「野菜を食べよう」と言う自信がない、と語ります。
野菜が健康に必要である。
そのデータもある。栄養学的にも重要である。
それでも、野菜がなかった食環境で生きてきた人たちに対して、外から来た自分が安易に「野菜を食べよう」と言えるのか。
その人たちは、何百年、何千年という歴史と環境の結果として、今そこに生きています。
短期間そこに滞在しただけの旅人が、その人たちに対して簡単に何かを語ることはできない。
この姿勢に、佐々木先生の謙虚さが表れています。
そして同時に、私たち管理栄養士・栄養士にも大切な問いを投げかけます。
自分の助言は、その人の生活環境に本当に届く言葉になっているか。
正しい知識を伝えることと、相手の現実を尊重することの両方ができているか。
栄養の知識は大切です。
でも、知識だけでは人の食は変わりません。
その人が生きてきた背景、今いる環境、選べるもの、選べないもの。
そこまで見ようとする姿勢が、専門職には求められているのだと思います。
日本の食を、外から見直す
後に、旅を通して日本の食を見直すことはあったのかを伺いました。
佐々木先生は、どこの国に行っても、日本の食がいかに自然で、ありがたく、豊かなものであったかを感じてきたと話します。
日本の食環境は、とても豊かだった。
だからこそ、私たちは食を深く考える必要を強く感じずに暮らしてこられた面もあるのかもしれません。
さらに言えば、食を科学として見つめる必要も、日常の中ではあまり意識せずに済んできたのかもしれません。
けれども、今はもう、そこにあるものを好きなように食べていれば健康でいられる時代ではありません。
食環境が豊かだからこそ、選び方が問われる。
情報が多いからこそ、根拠が必要になる。
食の自由度が高いからこそ、栄養学や食育が必要になる。
日本の食環境のありがたさに気づくこと。
そして、その豊かさに甘んじないこと。
これもまた、本書が私たちに教えてくれる大切な視点です。
分析だけでなく、統合して見る力を
取材の最後、話題は科学全体の流れにも広がりました。
佐々木先生は、科学は細かく分けて調べる「分析」の視点だけでなく、得られた知見を組み合わせて全体像を捉える「統合」の視点が大切だと話します。
栄養学の世界でも、成分、代謝、分子レベルの理解は進んできました。
それはもちろん重要です。
しかし、人の食は、分子だけでは語れません。
食べる人がいる。
生活がある。
文化がある。
環境がある。
歴史がある。
社会がある。
それらを統合して見ていくことが、これからの栄養の専門職に必要なのではないでしょうか。
佐々木先生の本は、まさにその「統合」の視点を体感させてくれる一冊です。
第3回のおわりに
佐々木先生の言葉には、食と健康を語る専門職への厳しさがあります。
けれども、その根底にあるのは、食べることへの深い敬意です。
人は、食べて生きてきた。
その土地で、その時代で、その環境の中で、どうにか命をつないできた。
だからこそ、食を語ることは簡単ではありません。
でも、だからこそ尊い。
管理栄養士・栄養士は、食と健康を語る専門職です。
その専門性を、栄養素や食品の知識だけに閉じ込めるのではなく、歴史、文化、環境、社会、そして人の暮らしまで広げていく。
『アジア 食の旅、病の地図』は、そのための視野を広げてくれる本です。
旅の本として読んでもいい。
料理の本として眺めてもいい。
栄養疫学の本として読み込んでもいい。
管理栄養士として、自分の言葉を見直す本として読んでもいい。
読むたびに違う景色が見える。
そしてきっと、食と健康を語ることの難しさと面白さを、もう一度感じさせてくれるはずです。





