【第2回】食と病を単純化せずに捉える視点を持つ
佐々木敏先生に聞く、ラオスの魚が教えてくれた「健康戦略」の深さ

取材・文:藤橋ひとみ
管理栄養士をはじめ、食と健康に関わる専門職の学びと実践を支えるEBNラボ。
今回は、佐々木敏先生の新刊『アジア 食の旅、病の地図』について、運営の藤橋ひとみがインタビューしました。
佐々木先生が旅先で見つめてきた食の風景、栄養疫学の視点、そして管理栄養士・栄養士に伝えたいメッセージを、全3回にわたってお届けします。

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目次

佐々木敏先生に聞く、ラオスの魚が教えてくれた「健康戦略」の深さ

佐々木敏先生の新刊『アジア 食の旅、病の地図』は、単なる旅の本でも、料理の本でもありません。

そこに描かれているのは、アジア各地の食を通して見えてくる、人が生きるための知恵と、病との複雑な関係です。

取材の中で、私は先生に尋ねました。

「現地で実際に食べたもので、特に印象に残っている料理や、最も記憶に残っている食の風景はありますか?」

旅の本であれば、きっと印象的な料理のエピソードが出てくるだろう。
そう思っての質問でした。

けれども、佐々木先生の答えは少し意外なものでした。

「この質問は、答えがないですね」

第2回では、この言葉に込められた佐々木先生のまなざしと、本書の第一話に置かれたラオスの話から、食と病のリアルを見つめます。

「一番印象に残った料理」は選べない

佐々木先生は、どの場所にも、その場にふさわしい食べ物があると話します。

どの食べ方にも、その土地で生きてきた人々の理由がある。

だから、どこに行っても印象的で、どこに行っても記憶に残る。

先生にとって、食の風景は順位づけできるものではありませんでした。

すべてが、その土地で人が生きてきた証だからです。

この答えに、佐々木先生らしさが凝縮されているように感じました。

私たちはつい、旅先の食を「珍しい」「おいしい」「面白い」といった言葉で語りたくなります。

もちろん、それも旅の楽しみの一つです。

けれども佐々木先生は、そこにとどまりません。

その料理が、なぜそこにあるのか。
その食べ方が、なぜ続いてきたのか。
その土地の人々は、どのような環境の中で食を選んできたのか。

食の風景の奥にある、人々の暮らしと歴史を見ようとするのです。

ラオスの魚が教えてくれた「健康戦略」の深さ

『アジア 食の旅、病の地図』の第一話に置かれているのが、ラオスの話です。

佐々木先生は、このラオスの話に「民族の健康戦略」のエッセンスが詰まっていると語ります。

ラオスには、肝臓がんのリスクに関わる寄生虫を含む魚を食べる食文化があるといいます。

現代の栄養や公衆衛生の視点から見れば、寄生虫感染のリスクは避けるべき重要な課題です。

しかし佐々木先生は、そこで問いを止めません。

なぜ、その魚を食べる文化が生まれ、続いてきたのか。

その背景を突き詰めていくと、魚から得られるタンパク質が、その土地で暮らす人々にとって非常に重要だった可能性が見えてきます。

病気のリスクを軽視するという意味ではありません。

むしろ、限られた食環境の中で、何を優先し、どのように命をつないできたのかを考える必要があるということです。

リスクだけでは見えない、食の背景がある

私たちは、栄養や健康の知識を持つほど、食を「よい・悪い」で判断したくなることがあります。

もちろん、健康リスクを評価し、予防につなげることは大切です。

けれども、佐々木先生の話を聞いていると、リスクだけを見ていては、その食文化の背景を見落としてしまうことに気づかされます。

その土地で、何が手に入ったのか。
どの栄養が不足しやすかったのか。
何を食べなければ、次の世代につなげなかったのか。

こうした視点を持つと、食文化は単なる嗜好や習慣ではなく、生きるための選択の積み重ねとして見えてきます。

そして、ここで重要になるのが調理や保存の知恵です。

どう調理すればリスクを下げられるのか。
どう食べれば、必要な栄養を得ながら危険を減らせるのか。
保存や調理の工夫は、どのように人々の暮らしを支えてきたのか。

この視点から見ると、栄養学や調理学は、単に「栄養素を計算する学問」や「おいしく作る技術」ではありません。

人が生きていくための、極めて実践的な知恵でもあるのです。

明るい旅の話だけでは、食の現実は見えてこない

料理や旅の本には、楽しい話や美しい風景、おいしい料理が多く登場します。

けれども、佐々木先生は今回の本について、必ずしも明るい話ばかりではないと語ります。

油の使い方が経済の変化に影響を受けた国。
昔の食べ方と病気の問題を抱えながら移住してきた人々。
政治や社会の変化に巻き込まれた地域。

本書には、食をめぐる複雑な現実も多く描かれています。

しかし、それは読者を暗い気持ちにさせるためではありません。

過去の苦労や課題を知ることで、これからの未来を考えてほしい。

人は、時代や環境、政治や経済に影響を受けながら、それでも食べ、生きてきました。

では、これから私たちはどうすべきなのか。

この本は、答えを一方的に教えてくれる本ではありません。

読んだ人が考え、語り合い、自分なりの未来を想像するための材料を手渡してくれる本です。

「病の地図」という言葉に込められた意味

本書のタイトルには、「病の地図」という印象的な言葉が入っています。

食の本、旅の本、料理の本に「病」という漢字が入ることは、あまり多くありません。

どちらかといえば、食の本にはおいしさ、楽しさ、美しさ、健康といった前向きな言葉が並びがちです。

では、なぜ「病」なのか。

佐々木先生は、病という言葉は本来、日常の中にあるものだと話します。

人が生きるところには、病があります。

食べることは、健康だけではなく、病とも常に隣り合わせです。

そして本書では、アジア各地の地図を広げるように、それぞれの地域の食と病の関係を見ていきます。

「食の旅」と「病の地図」。

この二つの言葉が並ぶことで、食べることは生きることなのだというメッセージが、より強く伝わってきます。

病気の背景には、自然環境と人間社会がある

地域によって病気の傾向が異なる背景には、どのような要因があるのでしょうか。

佐々木先生は、大きく二つに分けられると話します。

一つは、気候風土の影響。

自然環境によって、手に入る食材や食べ方、保存方法、病気のリスクは変わります。

もう一つは、人間社会の動きです。

政治、経済、移住、貿易、産業構造、他国との関係など、人間社会の変化によって食は大きく変わります。

食文化と病気の関係は、単純な一対一ではありません。

「この食品を食べるから、この病気になる」という短絡的な見方ではなく、その背景にある環境、歴史、経済、政治、人の移動まで見る必要があります。

本書に登場する国々も、この視点から読むと、さらに立体的に見えてきます。

食文化も、病気も、時代とともに変わる

佐々木先生は、本書を作る中で改めて気づいたことがあると話します。

それは、食文化も病気も、時代とともに変わっていくということです。

たとえば、ある国に新しい油脂が入ってきたことで、油の使い方が大きく変わる。

それが食習慣を変え、病気の構造にも影響していく。

すると、50年前の食文化と病気の関係と、現在の食文化と病気の関係は、まったく違うものになります。

私たちはつい、食文化を固定されたもののように見てしまいます。

「この国の食文化はこう」
「この地域では昔からこう食べている」

しかし実際には、食文化は常に変化しています。

そして病気の傾向もまた、環境や社会の変化とともに変わっていきます。

管理栄養士・栄養士が食と健康を考えるときにも、この時間軸は欠かせません。

第2回のおわりに

佐々木先生の旅のまなざしは、食文化を「珍しいもの」として眺めるのではなく、その土地で人が生きてきた証として見つめるものです。

病のリスクを見逃さず、しかしリスクだけで食文化を切り捨てない。

その姿勢は、食と健康を語る専門職にとって、とても大切な視点です。

次回は、管理栄養士・栄養士がこの本から何を受け取れるのか。

「食べることに、専門外はない」という佐々木先生の言葉を手がかりに、専門職としての学び方を考えていきます。

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